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東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)178号 判決

原告 松本郡平

右訴訟代理人弁護士 山口米男

被告 厚生大臣 内田常雄

右指定代理人検事 横山茂晴

〈ほか八名〉

主文

被告が原告に対し昭和三五年八月二四日付通知書をもってなした戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく遺族年金請求の却下処分が無効であることを確認する。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立て

(原告)

主文第一項および第三項との同旨に加えて「被告が原告に対し昭和三七年一月一二日付通知書をもってなした戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく異議申立て棄却の決定が無効であることを確認する。」との判決を求めた。

(被告)

「原告の各請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二原告主張の請求原因(ただし、抗弁に対する答弁も併記)

一  原告は松本一敏の実父であるが、一敏は昭和一五年一月一〇日現役兵として小倉野戦重砲兵第五連隊第二中隊に入隊し、陸軍二等兵として勤務していたところ、同年四月一四日小倉陸軍病院に入院し、同年五月一四日同病院において死亡した。

原告は一敏の遺族として被告に対し戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下、援護法ともいう。)に基づく遺族年金の請求をしたところ、被告から昭和三五年八月二四日付通知書をもって右請求を却下する旨の処分を受けたので、同年一二月六日付をもって被告に対し異議申立てをしたが、被告から昭和三七年一月一二日付をもってこれを棄却する旨の決定をされた。

二  しかしながら、被告のなした右年金請求却下処分および異議申立棄却決定はいずれも一敏の死亡が肺結核によるものであって、公務遂行との間に相当因果関係がないことを理由としているが、事実誤認も甚しく、重大かつ明白な瑕疵を有するから、無効である。すなわち、

(一)  死因に関連する事情

1 一敏は入隊前、八幡製鉄所に勤務していた当時、極めて強健であって陸上競技(マラソン)および水泳選手として活躍し、昭和一四年の徴兵検査には甲種合格したものであるから、前記入隊当時、胸部疾患などの気は全くなかった。そして、入隊後昭和一五年三月下旬(または四月上旬)小倉北方練兵場において乗馬訓練中、乗馬が狂奔したため落馬し、頭部および胸部を強打して失神し、鐙に片足をとられた状態で約五〇メートル引きづられ、その結果、頭上部に長さ二糎、深さ一糎の、また右耳部に長さ三糎、深さ三糎の各裂創を受けたところ、間もなく同年四月三日頃から食欲不振、身体衰弱の徴候を示したので、連兵休により軽務に服していたが、同月一四日肺浸潤の疑を受けて入院し、同年五月九日病名を肺結核と決定されたうえ、同月一四日死亡したものである。

2 一敏は落馬の際頭上部および右耳部に蒙った前記裂創のため死亡直前まで頭痛を訴えるとともに肺結核という病名の決定を残念がっていた。そして、前記陸軍病院長浜田要三軍医大佐も原告の申出により一敏の死後、その死体検案をしたが、右頭部外傷を確認し、病歴を参照したうえ、一敏の死因が右外傷である旨を明言した。

また、一敏が所属した前記第五連隊加嶋部隊本部はその後、久留米連隊区司令部人事部に対し一敏の功績調査照会につき「事実証明書ニハ公務起因ナル事実ヲ明記シアリ、小倉陸軍病院ニテ公病死ト判定セラレタ」と回答した。その結果、一敏の死は公病死と認定され、その遺族たる原告は昭和二〇年四月一敏の従軍記章に併せて弔慰金を下賜された。

(二)  死因

1 したがって、一敏の死亡は乗馬訓練中に生じた前記頭部外傷によるものであり公務に起因するものといわなければならない。

2 かりに、一敏の死因が肺結核であるとしても、同人は入隊後極めて厳格、激烈な初年兵教育を受けて体力を痛く消耗していたところ、乗馬訓練中、前記のような受傷をしたため、もともと頑健な肉体も急速に衰弱し、肺結核に罹患したものであって、これによる死亡は公務によるものというべきである。

三  なお、被告は右年金請求却下処分の処分庁として右処分に理由を付してその旨を請求者たる原告に通知すべきであったのに、これを怠った。すなわち、右処分の通知は被告ではなく、厚生省引揚援護局長がしたのであって、援護法施行規則二七条五項に違反するから、この点からしても右処分は無効である。

第三被告の主張

(請求原因に対する答弁)

一  原告主張の前掲一の事実は認める。同二の(一)の事実のうち、原告主張の年金請求却下処分および異議申立て棄却決定の理由が原告主張の点にあったこと、松本一敏が昭和一四年徴兵検査に甲種合格し、昭和一五年四月一四日肺浸潤の疑いで小倉陸軍病院に入院し、同年五月九日病名を肺結核と決定され、同月一四日同病院で死亡したこと、同人の遺族たる原告が一敏の従軍記章に併せて弔慰金を下賜されたことは認めるが、一敏が死亡直前まで頭痛を訴えていたこと、右病院長浜田要三が一敏の死因を頭部損傷である旨を言明したこと、一敏の死亡が同人の所属部隊の回答の結果、公病死と認定されたことは否認する。その余の事実は知らない。同(二)の事実はすべて否認する。同三の事実のうち、右年金請求却下処分の通知をしたのが被告ではなく、厚生省引揚援護局長であったことは認める。

二  なお、本訴請求のうち、右異議申立て棄却決定の無効確認を求める部分は右決定の原処分たる右年金請求却下処分の違法を理由とするものであるが、行政事件訴訟法三条にいう議決の(本件の場合、右棄却決定)無効確認を求める訴えにおいては原処分の違法を理由とすることができないから(行訴法三八条二項、一〇条二項)、右棄却決定の無効確認を求める訴えはその理由に関する主張自体失当である。

(抗弁―その一、本件年金請求却下処分の根拠)

一  松本一敏の死因は肺結核であって、同人の軍隊と全く関係がないから、右処分はその基礎となった事実の認定に誤りがなく、もとより適法である。すなわち、

(一) 一敏はいわゆる肺炎型急性肺結核に罹患し、これが因で死亡したものであって、このことは同人に対する死亡診断書および病床日誌に徴しても明らかである。なお、当時は肺結核に対する化学療法が未発達の状態にあったから、急性の肺結核罹病すなわち死を意味し、これが発病後においては、もはや対症措置の適否を問題とする余地は殆んどなかったのである。

(二) そして、同人の結核菌の感染およびその肺炎型急性肺結核への進展を軍務の故になし難い。一敏は入隊当時胸部保護の必要を認められ、保護兵として過激な勤務を免ぜられ、内務班においても疲労軽減の措置を受けていたから、むしろ、同人の肉体的素質が結核菌感染の原因であり、また、結核菌の血流内侵入という偶然が急性肺結への進展を惹起したものである。

二  以上の点を多少敷衍する。

(一) 原告は一敏が入隊前から極めて強健であったと主張するが、かりに、そうであったとしても、同人が入隊当時肺結核に感染していなかったと断定することはできない。

(二) 原告は一敏が落馬事故の後、間もなく食欲不振、身体衰弱の徴候を示したと主張するが、かりに、そうであったとしても、その徴候を肺結核の故でなかったと認むべき根拠はなく、むしろ、同人に対する病床日誌は同人が入院当初から肺疾患者であったことを示しているのである。もっとも、その病名の決定までには相当の日時を経過したが、それは入院後検痰による結核菌の顕出およびその他の諸症状の観察を必要としたためであって、同人が入院当初肺結核でなかったことを意味するものではない。

(抗弁―その二、右年金却下処分の通知の適法性)

そもそも、右処分の通知を処分庁たる被告自らなすべきか否かは処分庁の事務処理上の便宜の問題にすぎないから、被告の補助機関たる厚生省引揚援護局長が右処分の通知をした点には、なんらの違法もない。

第四証拠関係≪省略≫

理由

一  原告が松本一敏の実父であること、一敏が昭和一四年徴兵検査に甲種合格し昭和一五年一月一〇日現役兵として小倉野戦重砲兵第五連隊第二中隊に入隊し、陸軍二等兵として勤務していたところ、肺浸潤の疑いで同年四月一四日小倉陸軍病院に入院し、同年五月九日病名を肺結核と決定され、同月一四日同病院において死亡したこと、原告が一敏の遺族として被告に対し援護法に基づく遺族年金を請求をしたところ、被告から昭和三五年八月二四付通知書をもって右請求を却下する旨の処分を受けたので、被告に対し異議申立てをしたが被告から昭和三七年一月一二日付をもってこれを棄却する旨の決定をされたことは当事者間に争いがない。

二  そこで、右年金請求却下処分に瑕疵があるか否かを考察する。

(一)  ≪証拠省略≫をあわせ考えると、以下の事実を認めることができ、≪証拠判断省略≫ほかに右認定を左右するに足る証拠はない。すなわち、

松本一敏は入隊後、初年兵として兵営内外で連日猛訓練を受けていたが、同年三月下旬野戦重砲の牽引馬「勝岩号」の乗馬訓練を命じられて旧小倉市所在の練兵場においてこれに服務中、突如「勝岩号」が狂奔したため落馬し、鐙に片足をとられ、頭部を地面に接触した状態で約五〇メートル引きずられ、その結果、左後頭部に挫創を受けた。そして、帰隊後一応の治療を受け、勤務を軽減されたが、間もなく同年四月三日頃から全身倦怠、食欲不振、呼吸時胸痛、盗汗の症状を示し、同月六日軍医の診断により前記のように肺浸潤の疑いが生じ、これに対応する治療によっても病状が好転せず、かえって同月一〇日レントゲン検査を受けたところでは両肺全野に血行性撒布性病巣が認められたので、前記のように同月一四日前記陸軍病院に入院させられた。

一敏はその入院時、体温三八度二分、脈博九〇、栄養やや衰え、顔面蒼白、咳嗽、喀痰少量、両肩胛間部呼吸音粗という病的所見を示したものの、一方では心界心音尋常、横隔膜移動良好、腹部柔軟、膝蓋腱反射正常という所見を示し、その後も三八度以上の高熱を持続したほかには他覚的所見が殆んどなかったので、一たん腸チフスの疑いをもたれたが、ウイダール氏反応および尿ヂアソ反応検査により、その疑いが消失した。ところが、その後三九度前後に及ぶ稽留性の高熱が続き、また、両胸部とも呼吸音が粗裂で、僅少の乾性騒音も散在的に聴取され、同月一八日レントゲン検査を受けたところでは横隔膜の右側が高位に上り、両肺の紋理が増加し、血行性播種性とみられる小さな、そして新鮮な印象の浸潤の病巣が認められ次いで同月二七日チールガベット染色法による検痰の結果、ガフキー氏表第一号の結核菌が検出せられたので、同月二九日伝染病科病室に移された。

そして、一敏はその後も右染色法による検痰を受けたが、そのつど結核菌が検出され、病状もますます悪化して全身が衰耗する一方となり、同年五月七日頃には脈博の頻度が多く、やや微弱で胸内の苦悶が甚だしく、前胸部鎖骨下窩に小水泡音が聴取され、予後不良と診断され、翌八日には「チアノーゼ」症状が現われ、またレントゲン検査によれば、両肺とも殆んど全肺野にわたり濡漫性陰影をもって蔽われ、健常部を残さない状況となり、急激に進展した肺炎型急性肺結核と診断され、同月九日には軍医から前記のように病名を肺結核と決定された後、同月一四日死亡したものである。

以上が認定した事実であるが、これによれば、一敏の死因は肺炎型急性肺結核にあったものと認むべきであって、この点においては被告のした右年金請求却下処分の事実認定には誤りがなかったものといわざるを得ない。

原告は一敏の死因を落馬による負傷であると主張する。そして、一敏が落馬により左後頭部挫創の傷害を負ったことは前示認定のとおりであり、≪証拠省略≫によれば、一敏は入院後結核菌を検出され予後不良の診断を受けた同年五月七日右負傷について診察を受けたところ、右負傷は当時いまだ治癒していなかったこと、そして一敏はその後死亡直前まで頭部の疼痛を訴えていたことが認められるが、右負傷がそれだけで、または前記肺結核と競合して一敏の死因となったことはさきに排斥した≪証拠省略≫部分を除いてはこれを認めるに足る証拠がないから、この点に関する認定を覆して原告の主張を採用することはできない。もっとも、≪証拠省略≫によれば、松本一敏は入隊前には一五才当時脚気に罹患したほか、なんらの病歴もなく、学業終了後入隊まで八幡製鉄所に勤務当時には水泳選手として活躍し、至って強健であり、また、その血族に結核性患者もなかったことが認められるが、右事実は一敏が結核菌に感染しながら、どのような環境条件においても肺結核への推移を絶対に拒否するだけの肉体的素質を有したことの証左とはなしがたく、ほかに一敏に右のような肉体的素質を有したことを認むべき証拠はない。また、≪証拠省略≫によれば、原告は一敏が落馬受傷したことは周知していたが、同人の死亡直前、その病名を肺結核と決定されたことに不審を抱き、右陸軍病院長に異議を申入れ、一敏の遺体引取りを拒絶したところ、右病院長は一敏の遺体を検案して、その頭部の前記外傷を調べたうえ、同人が肺結核に罹患して急死した原因には初年兵としての猛訓練ならびに落馬による負傷およびこれに伴う精神的衝撃が密接に関連しているから、その遺族に対しては後顧の憂いのないように処置したいと述べて慰撫説得したことが認められるが、右病院長の言動だけから一敏の死因をかれこれ論断することはできない。

(二)  そして、一敏は前記認定のように一五才当時脚気に罹患したほか、なんらの病歴もなく、徴兵検査には甲種で合格し、入隊前、水泳選手として活躍するほど強健であったのであるから、ほかに特段の事情がない限り、同人は入隊当時にはいまだ肺結核に罹患していなかったものと推認するのが相当である。ところが、一敏が入隊後落馬事故による受傷までの間に兵営の内外で連日猛訓練を受けていたことは前記認定のとおりであるから、一敏は当時相当に疲労し体力消耗の程度が甚しかったものと推認するに難くなく、右受傷後間もなく肺浸潤の疑いを抱かれてから肺炎型急性肺結核によって死亡するまで約四〇日間における前記認定のような一敏の病勢昂進の状況に鑑みるときは、一敏は軍務による体力消耗のため結核菌に対する抵抗力を失い、その結果、肺結核に罹ったものと認めざるを得ない。ただ、一敏が結核菌に感染した時期ならびにその感染と軍務との関係を証拠上確定することができないけれども、その点はこの場合問題とするに足りない。

(三)  してみると、一敏の死亡は結局同人の軍務遂行によるものと認むべきであって、これと異なる判断に立脚した右処分には事実誤認を犯した違法な瑕疵があるというほかはない。』

三  次に、右処分の瑕疵が重大かつ明白であるか否かを考察する。

(一)  被告が一敏の死因について前記のような事実誤認をしなかったならば、原告の遺族年金請求を認容したであろうことは、さきに説示したところにより明らかであるから、右処分における事実認定の誤りは重大な瑕疵に当るものといわなければならない。

(二)  そして、前顕各証拠によれば、一敏が前記のように徴兵検査に甲種合格して入隊し、訓練中受傷して間もなく、肺浸潤の疑いが生じ、その後肺結核の症状が顕著となり、結局これによって死亡した事実は同人が当時入院した病院に残された資料から、たやすく看取されるが、右資料は被告が原告の遺族年金請求を審査するにあたり参照されたものであることが認められるところ、右資料によれば、一敏の死亡が軍務に起因したという判断には何人も到達し得たと考えられるから、右年金請求却下処分における事実認定の誤りは客観的にも明白であるといわなければならない。

四  なお、原告が右処分に対する異議申立て棄却決定の無効確認を求める訴えの理由とするところは右処分が違法であるというにあるが、右訴えにおいては、そのように原処分の違法を理由とすることは許されない(行政事件訴訟法三八条二項、一〇条二項)から、右訴えはその理由に関する主張自体失当である。

五  よって本訴請求のうち、右年金請求却下処分の無効確認を求める部分を理由があるとして認容し、右異議申立て棄却決定の無効確認を求める部分を理由がないとして棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小木曽競 裁判官 山下薫 裁判長裁判官駒田駿太郎は転補につき署名押印することができない。裁判官 小木曽競)

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